伯母が亡くなった。享年78歳。
脳腫瘍で1年半ほど闘病生活を送っていたそうだ。
今年の夏の終わり頃、伯父から
「医者から『合わせたい人がいたら今のうちに合わせてあげてください』と言われた」と連絡があった。と同時に
「お見舞いに来てもらってもほとんど意識がないので本人に判るかどうかも解らないので、元気な姿を覚えておいてもらった方が本人も喜ぶかもしれません」
とも言っていた。遠方なのでこちらを気遣っての言葉なのだろう。
伯母と言っても最後に会ったのは8年ほど前、その頃は病気の気配などまるでない、声の大きな、よくしゃべる、おしゃれで派手ないつもの伯母さんであった。
棺桶に入った伯母は私には初めて見る全く知らない人に思えた。私の記憶にある伯母といえば、茶髪のパーマをかけたロングヘアーに濃い派手なメイクでいつも黒っぽいボディコン服を着ている”お水の女”の印象なのである。
それが、白髪交じりの黒髪、ショートヘアに薄化粧と今まで見たことのない容貌であった。顔を覗き込んでじっくり眺めるとさすがに伯母の面影が残っていた。
『眠るように息を引き取った。』と伯父が言うように表情は穏やかであった。
伯母の葬儀は身内だけでひっそりと執り行われた。
棺の中にはたっぷりのお花、おしゃれな伯母があの世で身に付ける服と靴、そしてお弁当に伯母の好きだったいなり寿司が収められた。
姉は寒がりだからと伯母の妹は
「マフラーをプレゼントするから寒かったらこれを巻いてな」と涙声で語りかけながら棺の中に収めていた。
焼場で伯母が火葬されるのを待つ間、伯父が伯母の思い出話を色々聞かせてくれた。
「1年364日、毎朝、ごはんと味噌汁の俺の朝ごはんを作ってから、喫茶店にモーニングを食べに行っていた。唯一、元旦だけは一緒にお雑煮を食べた。」
「おしゃれで買い物好きだったから、出かけては俺の服を買ってきてくれた。服だけでなく何から何までみんなあいつが買ってきてくれていたから、あいつが病気してからは自分で着る物だけでなく、食べるものから全て全部買わないといけないから何買っていいかわからへんし、どこに何が売っとるかわからへんし本当に苦労したわ…」
「『俺の老後の面倒見て、看取ってくれる』って言っとたのに、まさか俺があいつの面倒見て、看取ることになるなんて思ってもなかった…。」
伯父と伯母は結婚してから51年目だそうだ。二人ともおしゃべりで話を聞いていると夫婦漫才を聞いているようだった。それももう聞くことはできないと思うと少し寂しい。
伯父の言葉ではないが元気だった頃の伯母の姿を心にしまい、そして数年前に亡くなった伯母の長男である従兄にきちんと伯母を迎えに来てくれるように心の中で願いつつ、静かに伯母を見送った。
『天国で親子漫才しながら二人で仲良く楽しく過ごしてくださいね…。』