聖人君子にはなれそうにない

煩悩たっぷりなP1の日々感じたいろいろな事について書くブログ

息子が健康で元気であることを心から感謝したい

 

1. 初めてのお見舞い

 昨日、中3の息子は

「学校の帰りに入院中の友達のお見舞いにみんなと行くので帰りが遅くなる。」

と言って出かけ、夜8時少し前に帰宅した。

 話を聞くと、電車に乗って大学病院まで行っていたらしい。

 

 その友達は毎朝通学路の途中にある我が家に立ち寄り息子と一緒に登校してくれていた。春頃に息子からその友達が入院したことは聞いていた。

「半年ほど入院する必要があるらしい。なんで入院しているかはわからない。」

と詳しいことは息子もわからないようだった。

 

 9月末にTDRに行っていたのだが、お見舞いに行くことが決まっていたので、その友達にあげるお土産を熱心に選んでいた。

 「食べ物は制限があるといけないし、入院中暇そうだから暇つぶしになるようにと奮発してナノブロックにする!」

 と言ってハロウィン限定のミッキーのナノブロックを買っていた。

 さすが中3、ちゃんと考えているんだと感心した。

 

昨日の朝

「お見舞いに行くのに何か気をつけることある?」

聞かれたので、

 ・面会時間を守ること。

 ・他の患者さんの迷惑にならないようにすること。

 ・病気の友達の負担にならないように長居しないこと。

とアドバイスした。

 

 息子がお見舞いから帰ってきて、夕食を食べながら、色々話をしてくれた。

 「友達のお見舞いには総勢7人で行った。6人の予定が飛び入りで一人増えた。その子は飛び入りだったのでお金を持ってなかったので電車代を貸した。大学病院は駅から歩いたけど結構近かった。」

 「病院では病室ではなく談話室で友達と会った。久しぶりなので話が弾んで結構長居してしまった。お土産もちゃんと渡して友達が

『早速作ってみる』

と言ってくれた。」

となどなどいろいろなことを嬉しそうに息子は話していた。

 「帰り道、電車がなかなか来なくて帰りが予定より遅くなった。」

と帰りが遅くなった理由もちゃんと付け加えていた。

 

 「最後に、みんな一緒に写真を撮った。」

と言ってスマホで撮った写真を見せてくれた。

 

そして私は絶句した。

その友達は ”ニット帽にマスク” という出で立ちで写っていた。

『化学療法、腫瘍だ!』

 

 ずいぶん前息子からその友達が入院していると聞いていた。早い段階から6ヶ月の入院期間が決まっていた。しかも大学病院。内科系なら経過次第で期間が変わるだろうし、外科・整形系で手術してリハビリしてもやっぱり経過次第で期間が変わりそうである。なので、「化学療法ではないのか?」と密かに考えていた。その考えが的中した。

 

「脳腫瘍だって…、治るのかなぁ」

と息子。中3ともなれは友達の病気が相当シリアスだとわかるのだろう。

「薬が効けは、腫瘍が小さくなって消えることもある。こればかりは個人差があるのでわからない。」

と答えるのが精一杯であった。

 

 中学3年生、普通なら人生の中で一番楽しい、多感な時期、人生これからなのに病気と戦わなくてはいけない現実。

「残酷な人生、悲しすぎる!」

 ただの顔見知りでさえそう感じる。親族の方はそれ以上だろう。

 

2. 息子に望むことはただ一つ

 息子がまだ生まれる前、お腹の中にいる頃の話である。

「なんだか腰が痛いな、まるで生理痛みたい」

と仕事中に感じた。私はふと同僚が昔

「陣痛はすごくひどい生理痛』

と言っていたのを思い出し、仕事の交代要員が到着するのを待って、産婦人科に駆け込んだ。妊娠19週には入ったばかりだった。

 診察を受けると病状説明を受ける暇なく、

「とりあえず点滴を入れないと」

と言われ病室に連れて行かれ点滴をつながれ、そのまま入院となった。

 切迫流産の危険性があり、子宮の収縮を抑える”ウテメリン”という薬を時間Maxの用量で持続点滴が開始された。この”ウテメリン”という薬の副作用で、頻脈でこめかみが脈打つし、心臓はドキドキするし、血圧は上がって頭がガンガンするし、眠れない。しかもこの薬剤、浸透圧の関係なのか点滴の針の刺さっているところに血管痛を起こす。本当に辛かった。

 入院中もトイレと食事以外は起き上がることは許されず、お風呂は禁止、週1回5分間のシャワー浴しか許してもらえなかった。

 結局このまま3週間点滴は続けられ、最後には腕に点滴を刺すところがなくなった。手の甲に点滴の針を刺された時は1mm手を動かしただけで、激痛が走った。今度点滴が漏れたら足だからねと看護師に宣告されたところで、退院のお許しが出た。

 この頃、とりあえず生まれてきても自力呼吸出来るようになる32週まで無事お腹の中にいてほしい、36週ならmore betterだと願ってひたすら安静にしていた。

 退院後、内服の”ウテメリン”を服用しつつ、自宅で安静にする日々が続いた。

 この頃子供に望むことはただ一つ 

  ”無事に元気に生まれてきてほしい”

ということだった。

 結局、息子は40週お腹の中にいてくれて、予定日通りに生まれてきてくれた。親の望みを叶えてくれた良い子だった。

 

3.  親の望みは果てしない

 15年経った今、息子は中学3年生、息子に望むことはだんだんエスカレートし

 ・もっと勉強頑張って、成績を上げていい高校に入ってほしい。

 ・高校に入ったら、良い大学に入って、良い会社に就職して、自立してほしい。

 ・結婚して家庭を持って、子供ができたらなお良い。

 という風に、成長過程に応じてどんどん増えてくる。

 これらはすべて親のエゴである。

 これらの望みも『息子は健康で元気である』という前提があっての話。

 

 闘病中の息子の友達のことを思うと、『息子は健康で元気である』ことを本当に感謝しなくてはならないと思う。

 

「バカでもチョンでも元気でいてくれたら、それ以外は何も望まない。」

 

と心から言えたら良いのだが…親とは厄介な生き物である。

 

その友達の治療成績が良好で、また以前のように我が家に息子を迎えに来て一緒に学校に通う姿が見られることを心から願う。